【大野将平】という怪物が天理大学の先輩にいた
こんにちは土井(@takeshidoi)です。
今回は危機感に気付いてほしいという思いから、僕の体験談を混ぜながら天理大学柔道部に所属した時に感じた「危機感」についてお話します。
「危機感」とは、僕の考えでは「達成したい課題・目標に対しての残された時間」であり、僕の場合はインターハイ優勝しても安堵できないほどの危機感があった。
それは天理大学に入学すると、1つ上の学年に同階級になる天理大学の先輩【大野将平】先輩がいた。
今回は大野将平先輩を見て感じた危機感や、それを踏まえ僕の行動はどうなったか?お話します。
結論から言うと、“大野将平先輩がいなかったら全日本強化選手では無かった“。
すでに天理大学柔道部の無差別のレギュラーだった大野将平という怪物
僕が入学した当時から大学生の時には「世界選手権」・「オリンピック」は金を獲るだろうと言われていた化け物だった。
また、小柄の73kg級ながら前日計量の時は減量も無い状態で無差別の団体戦のレギュラーに入っており、誰もが一目を置いていた。
そんな先輩を見ていて、どこか勝てる要素は無いか?どこか弱点は無いか?ということをいつも考えていました。
大野将平のトレーニング・練習量・筋肉は化け物
ハイクリーン120kg
大野将平先輩は稽古の手も抜かないし、トレーニング量もウエイトリフティングのオリンピック代表直伝の綺麗なフォームでえげつないトレーニングをしている。
大学生の頃は怪我が兄の哲也先輩も多かったため「大野の柔道に筋肉が付いてこない」など言われていたのを思い出します。
ちなみに僕は将平先輩に勝つには兄の哲也先輩に稽古してもらって研究するしかないと思って、兄の哲也先輩にボコボコにされていました(笑)
やっぱり講堂学舎のレギュラーは強かった。
大野将平先輩の強さを見て「危機感」を感じて変わった僕の稽古
僕は痛いところがあったら、完全に治してから復帰するタイプだったが、それを変えた。
理由は“大野先輩の稽古を見て、足の骨が折れても稽古していたから。
”
僕は指の脱臼程度じゃ休まなくなったし、先輩がいるからもっと強くなりたい。
どんな稽古をしているのか常に研究していた。
先輩がいたから常に「危機感」しかなかったため、僕に残された時間はどれだけあるのか?ということを1年生の入学した時から考えていた。
※僕が環境の良い実業団に就職するには軽い階級では実績が無いと厳しいため。
結果的に天理大学1年生の時にフランスジュニアを優勝して、関西学生で大野先輩に負けたけど、近畿ジュニアで勝利し、その年の世界ジュニアへの道が開いたと思ったが、全日本ジュニアは高校生に判定で負けて3位。
(優勝は大野将平先輩だった。)
「天理大学1年生の動画vs大野将平先輩もある」
影で自主トレをするようになった
僕は「このままでは柔道で就職なんて無理だ。」と改めて危機感を感じ、夜の門限後10時すぎから小さな2階の部屋でトレーニングを始めた。
その時のメニューは【チューブトレーニングを500回】と決めて、どれだけ眠くても疲れていても毎日すると決めていた。
※僕がこっそりと小さな部屋でトレーニングをするために部屋に入ると、時々先着がいましたが「女」と電話をしていました。(笑)
その後、苦しいことが何度もあったがやり続けた結果、なんとか天理大学の2年生で無差別級のレギュラーになり全日本強化選手Bにもなれた。
結果的には大野将平先輩はオリンピックを優勝し、僕が上に行くことは出来なかったが先輩がいなければ果たして僕は「危機感」を感じていたのだろか?と思うことがあります。
読者の人に伝えたいこと
僕は柔道が強い弱いとかじゃなくて、「危機感」を感じてほしいと思っている。
県大会も勝てない子に「全国優勝しろ!」なんて言わないし、自分の中の目標に向かって時間を無駄にしていないか?ということを改めて考えてほしい。
人生は一生に1度なのだから、常に危機感を持って、行動し準備することが大切。
ただ、何も考えず日々を過ごすのは人生を無駄にするのでは無く、良い成績を出したいなら他の人よりも1秒でも早く行動をすること!
こういったことが必ず今後の人生に生きていくと僕は思っています。
皆さんはどうですか?
それではこの辺で!
時間を大切に良い一日を!
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