篠原信一は偉大な柔道家というのを後輩が語る

2022年4月11日

こんにちは土井(@takeshidoi73)です!

ご無沙汰しております!
東京五輪が終わり、ウルフアロン選手が面白いということでTVに出演しまくりで、さらにドンマイ川端という柔道界のある意味スーパースターが最近柔道界とタレントの世界で柔道を盛り上げてくれています!
しかし、“柔道選手=面白い“で忘れてほしくないのが篠原信一先生です!

今回は柔道と言えば、篠原信一と言われるほど世間ではタレントとして有名で「何故か柔道以外のところで活躍し続ける大先輩(笑)」であり、大先生である篠原信一について【本当は凄い人!】ということを天理の柔道部の後輩がお話していきたいと思います。
また、今回の情報は天理の後輩であり、全日本柔道男子監督の際に強化選手であった僕にしか知らない話を混ぜていますのでご期待ください!

※経歴
育英高校―天理大学―旭化成-天理大学柔道部監督―全日本柔道男子監督-現在
現役時は全日本柔道選手権3連覇し、シドニー五輪銀メダリスト、井上康生監督にも人生で一番強かった選手は「篠原信一」と言われている。

誤審でシドニー五輪銀【篠原信一 VS ダビド・ドゥイエ(FRA)】

この技は篠原信一先生の内股透かしで完全に“一本”だと思ったが、審判はダビド・ドゥイエ選手の内股のポイント(有効)を宣告。
※ダビド・ドゥイエ選手(FRA)は成績もアトランタ五輪金メダルなので、化け物級に強くて世界選手権も4連覇しています。

これは柔道の素人の方は見ても分かるか分かりませんが、「内股透かし」と言う技になり、柔道競技者目線で言うと、篠原信一先生の「一本勝ち」と言われ世間では“世紀末の大誤審”とまで言われ現在もすごい印象に残っています。
柔道をしていた方、していない方でもこの写真を見てどうですかね?

投げているように見えませんか?僕は何回もみても“内股透かし”が決まったようにしか見えないんですよね!
日本柔道界では決して忘れられない誤審なのですが、この篠原信一先生のシドニー五輪決勝の誤審をきっかけに柔道ではビデオ判定が行われるようになったのは知っていましたか?

今の柔道の大会で時々長い時間審判が立って耳のイヤホンから指示を聞いたり、ビデオ撮影場所にいくきっかけになったのはこの大会がきっかけです。
結果的にこの大会が柔道の歴史を変えるきっかけになったのは間違いないですね!

ちなみに、誤審は無くならず現在の柔道会でも起き続けています(笑)
ですが、これは誰が悪いと言って攻める話ではなく、これをきっかけにさらに改善していこうといったことだとプラスに捉えましょう!

僕は篠原先生の名言が好き

オリンピックの決勝を誤審で負けたことに対して「(自分が)弱いから負けた。それだけです」と言い切った。

この発言を僕は忘れられず、やはりすごい選手だったのだなと思う。
この言葉に関しては今も撤回することなくTVでも自分が弱いからとはっきり言ってますよね。
なかなか言えることでは無いし、やはりそれだけの思いを込めて稽古で成り上がった努力の人だから言えるんだろうなーと素直に感じます。
まあ、普通の人間であれば言い訳しますし、納得いかない!と言い続けるはずですからね!
ちなみに僕もこの言葉はなかなか言えないな~

篠原信一の面白さはオリンピック金メダル

柔道の解説が無駄に面白いため、芸人さんに物真似されるほどの面白さを秘めている。

篠原信一先生の柔道の解説は柔道自体の解説になっていないため解説者に最近は見ることは無いが、素人の人が見ると面白いので機会があればまた見てください!

篠原信一先生も「柔道の解説の依頼が来るわけがない!」と認めているため柔道を広めるといった意味ではこれで良いのではないか?と思っているのは僕だけですかね!
見ていない方のためにどんな解説だったか例を挙げると、あの選手より俺の方が強い!というニュアンスのことなどなど(笑)
また、選手情報などは全く知らないし、おそらく大会で先取を見るのが初めてなので得意技などは全く無知なので解説は出来ません(笑)
個人的に柔道の解説は篠原先生の愛弟子である穴井隆将先輩(現:天理大学監督)の解説が一番分かりやすくて好きです!
東京五輪か世界選手権のどっちだったかな?穴井隆将先輩も面白いと言ってネットをにぎわせていましたね(笑)

まあ、篠原先生は柔道だけでなく面白さでもオリンピックの決勝の舞台に立てるような人ですし、僕の感覚では篠原先生と柔道家限定の笑いのオリンピックで戦えるのは川端さん(現YouTuberドンマイ川端)とウルフ・アロン選手くらいじゃ無いですかね?(笑)

あの篠原信一にも弱くていじめられている時期が

天理大学入学時は弱かったと僕の出身道場の先輩には天理大学の先輩が多く、篠原信一先生の話をよく聞きます。
天理大学入学時は柔道が弱く、身体が出来上がっていなかったためボコボコにされていたそうです。
しかし、他の人と違う点があり「本当にしつこかった」とボコボコにしてきた人たちは口を揃えて言いますよね!

「先輩もう一本お願いします。」

と何度も食いついてきた姿が今も忘れられないとよく聞く。
どうしても世間では天理と言えば、「天才の野村忠宏」・野村忠宏先輩とのトークが「面白い誤審で銀の篠原信一」となっていますが、篠原信一先生は本当に泥臭いほどの努力の天才であったらしいですね(笑)
まあ、大学卒業前後の篠原先生であれば逆にボコボコにしてそうなくらいですけどね!

因みにテレビでは笑いのために「生徒が37°の熱でも稽古は休ませない。でも、自分は平熱が低いから37°の微熱で休む。」と言っていますが、本当に篠原信一先生は努力の方で有名なので、自分の口では努力していたなどとは言いませんが、努力の天才ということを読者の皆さんには知ってほしいですね!

土井と篠原信一先生のエピソード

篠原信一は偉大な柔道家というのを後輩が語る その2

幼いころに僕が初めて有名なスポーツ選手に写真を撮ってもらったのが「篠原信一」先生。
日の丸を付けていたのと僕が幼少期であったころを考えると、シドニー五輪前なのかな?
「化け物みたいに顔のデカい巨人だ!」と思ったことを覚えています。

※案の定、20年後に進撃の巨人みたいなことをメディアでやっていました(笑)

10数年後に全日本強化合宿で、こんな追い込まれることになって天理大学の後輩になるとは、夢にも思わなかったですね!
また、僕が16歳から20歳のまでの間に篠原信一先生は全日本柔道男子の監督を引き受けており、この時に僕はシニアの全日本合宿に参加しており、地獄だった(笑)
朝練で毎日10km以上走り、午前・午後の柔道の稽古がある。
ありえないくらいきつかったので篠原信一先生やコーチ陣にバレないように「手を抜く選手」がめちゃくちゃ多かった(笑)
というより、手を抜かなければいつ怪我をしてもおかしくないような練習量とトレーニングだった。
まあ、昔で言う「根性論」と言うやつですね!

賛否両論はありますが、篠原信一先生が本当に努力家だったらしいので、それを指導に実行したということでしょう!
結果的にはロンドン五輪では日本初の金メダル0に終わりましたが、これは日本の柔道が弱いというよりは世界の柔道が強くなった、または普及したという方が正しい解釈ですね!
また、現在、篠原信一先生は「僕は指導者には向いていない」と言い切って、指導者の世界から姿を消しています(笑)

※この全日本の柔道男子監督をやめるという話を聞いた時に僕は現役で全日本強化選手でした。

篠原信一先生はテレビではあのような姿を見せ、柔道会に貢献されていますが、本当は凄かったということをこの記事を見て思い出してほしいです!
おそらくTVで面白い姿を見せるのもこういった活動をすることで柔道界に何かいい影響があればと思って活動されているはずです!(笑)

まあでも、篠原先生のリュウちぇるはさすがにきつかった!といことで、こんな話でも篠原信一先生の凄さが伝われば嬉しいです!
ちなみに、現在は長野県でブルーベリー農園をしているという噂もちらほら聞きます。
では皆さん時間を大切に、良い1日を。